信じることと待つこと
-子供を信じるということ-
子育てにおいて、子供を信じるということを考えてみたいと思います。
我々親というものは、子供と接する時、いつもどんなことを考えているでしょうか。
それは人それぞれで、いろいろあると思いますが、この場合、私は大きく
二つに分けてみたいと思います。
先ず、一つは子供に対する悦びの気持ち。
可愛いとか楽しいとか、この子と居て幸せだなあといった気持ちですね。
そして、もう一つは不安な気持ち。
この子の将来を考えると・・・・とか、(だいたい不安は子供の将来を考えた時に
起きますが)子育ての中で起きる様々なトラブルなどに直面した時などに
感じる気持ちです。
子育てしている私たちは、この感情の間を行ったり来たりしているといっても
いいでしょう。
しかしながら、できることなら子供に対する不安の気持ちよりも、悦びの気持ちの
ほうが、親の心の中でより大きな部分を占めていたほうが、望ましいことは
いうまでもありませんね。
子育てが不安に振り回されるよりも、悦びに満ちているほうが、
親にとっても子にとっても幸せです。
では、どうすればそういう気持ちで子育てができるようになるでしょうか。
一つの視点として、私は「子供を信じる」ということがキーワードになるのではと
思うのです。
自分の子どもをどれだけ信じられるか。ここが分かれ目になってくる。
では、子供の何を信じればよいのでしょうか。
-子供は親を裏切るが・・・-
子供は本来誰でもその中に「成長したい」とか、「能力を伸ばしたい」とか、
「人に優しくしたい、人を愛したい」といった力を潜在的に持って、この世に
生まれてきます。そして、親がその可能性を信じてあげることで、子供は
自分の中にあるそうした「力」を成長させていくのです。
ここでよく考えて頂きたいのは、子供にはそういう力を持っていない、あるいは
むしろ凶暴性を宿しているから、親が「善なるもの」を教え込まなければならないと
いう考え方です。
これは、あきらかに子供の可能性を信じていない。
子供を疑ってかかっている育児の姿勢です。
こうした姿勢からの子育ては、非常にきゅうくつで無理を強いられます。
多くの事を親が教え込もうとします。しつけなどもそうですね。
しかしながら、やってみればわかりますが、子供というのはそんなに簡単に
言う事を聞きません。
何か注意したところで、すぐにその場で行動が変わるほど、子育ては楽では
ありません。
子供の可能性が信じられないと、親はドンドンとイライラしてきます。
自分の言ったとおり子供が変わってくれないことで、ますますイライラが募ります。
しかし、子供から言わせれば、親が自分のそうした可能性を信じてくれないのに、
そんな親の言うことを一から聞こうという気が、起きるはずもありません。
もしそれでも親の言うことを良く聞くとしたら、
それは、親が怖くて仕方なく言うことを聞いているのです。
それは、自分の中にある可能性や信頼関係を捨てているということです。
子供は、親を何度も裏切るものです。
それが当たり前ですし、それが自然な成長のプロセスです。
子供は親を何度も裏切ることで、伸び伸びと成長していくのです。
しかし、親というものは、子供に何度裏切られても、
子供のことを信じ続けられる存在なのです。
子供が何度裏切っても、それでも親は子供を信じる。
だからこそ、子供はそこで徐々に「信じるとはどういうことか」を学んでいくのです。
-待つ悦び-
子供と親、どちらが先に信じるか。その順番はあくまでも親であるわけですが、
さらにその先ずっと子供を信じていく。
何を信じるのかといったらそれは、親の期待通りの人間になっていくことではなく、
子供の中にある可能性、「成長したい」「能力を伸ばしたい」
「人に優しくしたい、人を愛したい」という潜在的な力を信じるということです。
子育てでよく言われる「待つ」ということ。
これは何を待つのかといわれれば、
そうした子供の可能性がゆっくりと立ち上がってくるのを待つと言いかえても
よいでしょう。それが、子育ての「待つ」ということだと思うのです。
この気持ちは、子育てをする時に、いつも心に留めておいて頂きたいと思います。
子供が何度裏切ろうとも、親は子供を裏切らない。
子供の中には潜在的な可能性を誰もが持っている。
そして、親は子育ての中で子供のそうした可能性を信じて待つ。
ですから、子育てはギブアンドテイクではなく、ギブアウェイです。
子育てに見返りを求めたら、必ず失敗します。
子育てほど、そうした努力の結果がストレートに反映するものは、ありませんね。
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