叱るのか、教えるのか
-躾を急いでしまう-

子供に何かを教えたり伝えようとする時、私たちはついついその場で子
供がすぐその事ができるようになることを期待してしまいがちですね。
遊んだ後の御片づけ。出かける時の準備支度。脱いだ着衣を洗濯籠
に入れるとか、そういった習慣をつけさせる場合などに、子供がすぐに
取り掛からなかったり、忘れていたりすると、
「どうしてすぐにやらないの」「この間も言ったばかりでしょ」
という具合に語気を強めてしまうことが多いですね。

私も時々やってしまいますが、フッと思います。
子供の年齢を考えれば、そんなにすぐにはできないことを、今すぐでき
るようになるように要求してはいないだろうか。
大人でも人から「ああしろ、こうしろ」と言われると、面白くない時もあり
ます。ただ、理性でもって我慢して言われたことをやるというのが、大
人の場合でも正直なところです。
子供の場合、親に言われた内容よりも、どんな言われ方をしたか、どん
な気持ちで言われたか。そちらの方がむしろ伝わっています。

子供への指示・命令が多い親御さんは、子供の年齢に比べて高い事
柄を要求してはいないだろうかということを、振り返ってみることも必要
かも知れません。
こちらの要求の量の10倍くらい子供の話をゆっくり聞いてあげなけれ
ば、子供はこちらが伝えたい事の10分の一も聞いてはくれません。
そのくらいに思っていて丁度いいくらいだと思います。

-支配者と指導者-

例えば、勉強とか生活の様々な習慣(着替え、片付け、靴の紐を結ぶ)
を躾る時、親の接し方を二つの種類に分けることができます。
一つは「そんなこともまだできないのか」「他の子はもうできるぞ」とい
った風な接し方。
もう一つは「そういう時は、こういう風にやるんだよ」「こうしてごらん」
といった接し方です。
社会心理学者の加藤諦三先生は、前者を「支配者」、後者を「指導者」
と表現しています。

子供がきちんとできるようにゆっくりと教え、伝えてあげているのか。
ただ、イライラや小言をぶつけているだけなのか。
他人(大人)に対しては、冷静に話せるのに、こと自分の子となると、
勝手が違ってしまう親御さんは多いのではないでしょうか。
親御さん自身が幼い頃にそうやって躾られてきた場合、自分の子供
にも同じようにするものですが、子供からしてみたらどうでしょうか。

私は、躾というのは、その事(勉強や生活習慣)ができるようになる、
身につけるということ以上に、親からそれを教わることによって、自分
に自信をつけるということも、大切なことだと思うのです。
それは、ただ単にその事ができるようになって自信がつくということで
はなく、親が子供のテンポに合わせて繰り返しできるようになるまで、
根気よく「良き指導者」として接してあげる。そういう親子のコミュニケ
ーションを通して、子供自身もすぐにあきらめないで、キレないで、根気
よく物事を覚え、身につけ、最後までやり抜く。そういった態度を親の
態度から学んでいくものだと思うのです。
そう考えてみると、その事がすぐにできるかできないかは大して重要
ではないのではないかと思います。

-キレる子、根気の無い子、無気力な子-

最近の傾向として、子供たちがキレ易い、根気が無い、無気力という
ことを感じます。これは一概にこれが原因という風には言えないとは思
います。しかし、一つには、子供の話をじっくりと聞かずに、大人が子供
たちに指示・命令が多いのではないかという気が、私はします。
昔にくらべ、核家族化や近隣のお付き合いの減少、塾や習い事に忙し
いなどの理由で、子供たちは自分の話したいことや気持ちを、親以外
の大人に聞いてもらう、受け止めてもらうという時間が物凄く減ってき
ているように思います。

親というのは「親の責任」がある以上、指示・命令は子供とのやりとり
の中では、どうしても必要なものです。
一方、親以外の大人、すなわち祖父母、ご近所さんなどは、そうした
責任がない分、子供の話をゆっくり聞いてあげ易いものです。
親に怒られた後、そうした大人たちとの会話が、子供たちにとっては
意味があったのです。
「そうか、怒られちゃったのか。」「どうした、元気ないな」
こうした触れ合いによって、親が厳しい人でも子供はやって来れたと
いう側面もあったでしょう。

しかし、今はその役割までも親が背負わなくてはなりません。
親が叱った後のフォローまでしなくてはならないのです。
子育てが昔よりも難しくなってきたのは、こうした背景もあると思いま
す。
決して、「昔の子育てが良かった」とは言い切れません。
「地域での子育て」が叫ばれてきているのも、こうした理由からだと
私は思っています。

子供だけでなく、私たち親自身も自分の思いを話せる場所が、だんだ
ん少なくなってきているようにも感じます。
心の触れ合いを伴った井戸端会議も、やはり意味をもっていたともい
えます。
私たち親自身も、子供の頃にそうやって自分の話や気持ちをゆっくり
暖かく受け止めてもらう機会が少なかったのではないか。そのために、
公園や近所同士の付き合いすら上手くやっていく自信が持てないの
ではないか。
そんな親の心の中の焦りが、子供たちのキレ易さ、根気の無さ、無気
力に投影されてしまっているのかも知れません。


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