家族を愛せないお父さん
-見返りを期待する関係-

「俺はお前らのために、下げたくもない頭を下げてきたんだ」「お父さんは
家族のために働いて、我慢してきてるんだ」「誰のお陰で生活できてると
思ってるんだ」「お前の躾が悪いから(甘やかすから)子供がグレるんだ」
お父さんたちのこうした決めのセリフに家族はうんざりします。
家族のことを思っているようで、思っていない。家族を愛しているようで、
愛していない。そこには、愛情があるようで無い。あるのは「ウソ」、そし
て見返りを求める押し付けがましさ。

ここで断っておきますが、本当に人を愛する時というのは、見返りなどは
求めないものです。自分がこれだけ愛しているのだから、あなたも自分を
これだけ愛して欲しい。これだけ尽くしているのだから、それに応えて欲
しい。
これは、愛ではありません。本当に人を愛せる人は、ただ、愛することが
できれば、それで満足なのです。相手がその後どういう反応をしめそうと、
関係ないのです。人を愛することそのものに大きな「悦び」を感じ、愛され
るよりも、愛することの方がもっと気分がいいということを知っているのです。

ですから、年老いてからの世話を、子供に強要する親は最低です。
本来子育てという行為も、子を愛することそのものに悦びがあるのですか
ら、「育ててあげるかわりに面倒を見てね」「育てられたんだから、感謝てね」
という気持ちは、その動機が不純です。感謝というのは、相手が自然感じ
ることであって、相手にそれを求めた時点で、ウソになります。
「子育てさせてくれて、ありがとう。あとはどこへでも好きな所に行きなさい」
というのが、親の愛というものです。

-自分の我慢を人にも強要するお父さん-

さて、お父さんに話を戻します。
お父さんは会社で我慢しています。会社組織というのは、個人の欲求をあ
る程度抑えないと成り立たない側面があります。組織の期待する役割をそ
れぞれがきちんと果たしていくことにより、組織は機能します。
その時、組織が要求する事と、お父さんの欲求や価値観が一致していれ
ば、問題はないわけです。しかし、お父さんのそれと、組織のそれが相反す
る場合、どちらか(組織かお父さん)が我慢をしなければ、どちらも成り立ち
ません。
そこで、組織を機能させるためには、お父さんが我慢を強いられることにな
ります。何を我慢するかというと、人間としての本来の欲求、感情を抑えこ
むのです。つまり、自分の本当の気持ちです。あれがしたい、これがしたい
という気持ちを我慢するのです。

さて、家に帰って来ました。子供がわがままを言ったりぐずったり、だらだら
と横になってテレビを観ています。これは、本来ならリラックスした好ましい
状態で、家庭の団欒の本来の姿でもあります。しかし、会社で我慢を何年
間も強いられ、やりたくもないことばかり頑張ってやってきたお父さんは、
これが許せません。面白くないのです。しかし、この程度なら、お父さんはま
だ我慢をします。しかし、子供が何か辛い思いをして、そのことを告白したり、
弱音や愚痴を吐いたりした時、お父さんはもう我慢の限界です。
「俺は子供の頃から我慢して、必死に歯を食い縛ってここまでやってきたん
だ。なのに、何でそんな事も我慢ができないんだ。我慢が足りないぞ。お父
さんがお前の頃は、そんな風ではなかったぞ。」
「だいたい何だ!いつもだらだらとして、やるべき事はちゃんとやっているの
か!お前(母親)も甘やかし過ぎだ。だから、こいつはこんなことになるんだ。
俺は普段はお前たちのために、外で働いている。いろいろと大変なんだぞ。
家のことや子供のことは、お前がしっかりやってもらわないと困るぞ!!」

-自分の弱さを認める勇気を示そう-

こうなると、叱っているとか説教しているというレベルではありません。
屁理屈をくっつけてキレテいるだけです。もっともらしい理屈を言って、自分
の弱さを棚に上げて、家族に自分の不満をぶつけているに過ぎません。
こうなると、始末が悪いです。一見理屈が通っているように、聞えます。しか
し、実は自己実現を逃した自分の人生に対する怒りを、妻や子供にぶつけ
ているだけなのです。自己実現したお父さんは、自分のやりたい事と、やる
べき事がほぼ一致しているので、自分自身に理不尽な我慢を強いる必要
性がないのです。

こういうお父さんは屁理屈をこじつけて、さも立派な説教に変えてしまう天才
です。何故ならば、そういうことを自分の心の中で、何十年もやってきたから
です。逆にいえば、そうでもしなければ、やっていられなかったのです。
そうやって、自分にウソを付き続けているうちに、感覚が麻痺し、自分の本
当の気持ちがわからなくなってしまっているのです。
自分の本当の内なる声に耳を傾け、人からの評価に左右されずに己の道を
進む勇気が持てなかったのです。そして、そんな自分の弱さを認めたくないの
です。認めたら、自分のこれまでの人生を根底から否定されてしまうような気
がするからです。それは大変な恐怖に思えてしまうのです。

しかし、子供や妻がお父さんに求めているのは、自分の弱さと向き合うことで
す。「俺も時々自分がわからなくなることがある。そんな立派な人間じゃあな
いかも知れない。失敗もすれば、間違うこともある。怠けたいとか、甘えたい
と思うこともある。でも、お前たちと一緒に、成長していけたらと思うよ。」
お父さんも、子供と一緒で発展途上人間であり、カッコ悪かったり情けなかっ
たりする時もある。でも、それでいいのです。

子供がお父さんに本当に求めているのはカッコよさや、世間の常識や明快
な回答ではありません。お父さんの本音、お父さんの本当の気持ちです。
お父さんが自分の弱さを認め、その弱さと向き合おうとする時、子供はお父
さんを尊敬し、「カッコいい」と思うのかも知れません。
自分の弱さを受け入れることで、人は本当に強くなれます。
そして、己の弱さを許せて、初めて人の弱さも許せるのです。
そうなれば、もう何を我慢する必要があるでしょうか。
自己実現した人間は、自分が好きな事をするために、必要な我慢しかしま
せん。人の評価を得るために必死でする我慢は、自分の中で、意識と深
層のズレを益々大きくし、家族を愛せなくさせてしまうだけです。


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