「一年を振り返って」
-掲示板とコラム-

昨年の11月1日にこのサイトを立ち上げて、お陰さまで一年が経ちました。
このしあわせ研究室「こころの森」のメインコンテンツは、私が書いたコラムと掲示板
です。
コラムに関しては、三つのジャンルに分けてアップしてきました。
読むひと一人一人が、少しでも励まされたり、何かを感じてもらえるようにと思って、
魂込めて、書いてきました。
「こころ」ということを中心テーマに据えて、経済や時事ネタ的なものは、避けてきま
した。私も社会人の端くれですので、景気対策や企業の経営問題など、自分なりの
考えはいくつも持ってはおりますが、こういう問題は賛否が分かれて議論に発展する
可能性もあるために、取り上げることを見合わせてきました。
この基本方針は、今後も変更する予定はありません。

こころの問題というのは、大雑把に表現すると、次の二つのことが言えると思います。
先ず、こころの問題は、一見複雑なように見えて、そこにはかなりわかりやすい法
則のようなものが存在すること。
そして、もう一つは、こころというのはどこまで手繰っても、わからないことばかりだと
いうことです。
この二つは非常に矛盾しているというか、相反する表現になりますが、こころというこ
とを考えてみると、いわゆる「表と裏」のような、表裏一体、つまり一つの捉え方という
ことができます。
非常に捉えやすい側面と、大変わかり難い側面とを同時に持ち合わせているのが
「こころ」といえるのではないでしょうか。
この両方の面をいつも見据えながら、わかったりわからなくなったり・・・・・
こころの問題を考える時には、こうした苦しい局面を常に経験することになります。
そのような身の置き所のない苦しい道のりを進んでいくことによってしか、こころの
問題や人間関係の問題は解決を見ることができないことが、とても多いことに気づか
されます。

掲示板というネット上の一つの空間においても、そのことは何ら違いはありません。
様々なサイトの掲示板では、テーマは多様でも、そこには人の心理という意味では
非常に一様なものを感じます。
このこころの森の掲示板では、ルールや注意書きというものを敢えて明示していま
せん。書き込みしてくださる皆さんの良識に任せているというのも理由ですし、自由な
空間、自由な森の空気という演出上の効果も考えてのことです。
しかし、何かトラブルが起きた時、管理人としてしっかりとした対応が求められること
に関しては、この森の掲示板でも、例外ではありません。

-掲示板の意義-

これまでこの森の掲示板上では、奇跡的にも誹謗中傷的な書き込みに見舞われて
きませんでした。
これから先もそうだという保障はありませんが、管理人としては様々な事態にしっか
りと対処していくつもりでおります。
以前にも何度か触れてきましたが、掲示板というのは、人間のコミュニケーションを
考えるとき、大いなる限界と、未知の可能性を持っていると思うのです。

メールの場合もそうですが、ネット上の文字のやりとりというのは、お互いの意志の
疎通が難しいのです。少なくとも、面と向かったコミュニケーションに比べて、相手に
伝わるメッセージの数が限られてくるからです。
面と向かったコミュニケーションでさへ、伝わらないことによってお互いの間で誤解
が生じることも少なくないのですから、相手の表情が見えず、文字だけのやりとりの
メールや掲示板は、ひたすら受け取る側の解釈に委ねられることになります。
そこに、掲示板やメールの難しさがあるわけです。

一方で、掲示板やメールに少なからぬ可能性があることも、見逃すことはできませ
ん。自分の気持ちを文字にして誰かに読んでもらう。文字にする、書くというだけで
も、自分の気持ちを整理できるとか、今まで気が付かなかった事に気づくとか、すっ
きりするとか、書いているうちに自然と答えが出てくるとか、そういった様々な効果が
実感できると思います。
さらに、そこに誰かのレスポンス(返信の書き込み)が来る。
そのレスによって、新たな気づきや発見もあるでしょうし、誰かに読んでもらえた、
ある程度共感してもらえたなどの心理的効果も出てきます。

ただ、そこに見知らぬ相手からのリアクションをもらう怖さも同時にあると思います。
そしてまた、掲示板は基本的にはレスをもらう相手を選べない。
その辺が、掲示板の表と裏というところでしょうが、一般的にはほとんどが暖かい
レスが書かれるわけです。
そのことによって、どれだけの癒しや勇気がもらえるかわかりませんし、マスメディア
においても、そのことが取り上げられるようになってきました。
ですから、今後とも、掲示板というものへの一つのこだわりを、私は持ち続けていき
たいと思っています。

-これからの「こころの森」-

さて、二年目に入ったこころの森ですが、今後ともコラムと掲示板という二本の柱を
主軸に据えていく方針に変わりはありません。
最近では日記の方もご覧になって下さる方が出てきているようで、こちらのほうも
なるべく更新を心がけていきたいと思っています。
そしてまた、これらのコンテンツに加え、あたらしい森の育成計画を考えております。
どんな森なのか・・・・
それは今は書けませんが、今までのこころの森と比べ、もっともっと具体的に皆さん
のお役に立てるコンテンツにしていきたいと考えています。

アクセス数は、20000を超えました。
他のサイトに比べれば、非常に地味なアクセスカウントですが、私のようなものが
個人的に地味にやっているようなサイトとしては、とても満足のいく数だと考えて
います。
私がこれまでコラムなどに書き記してきた事柄は、極めて当たり前のことばかり
です。奇抜な発想や、目からウロコのようなメッセージは一つもありません。
そうです。極々あたりまえの内容です。
しかしながら、人はこのあたりまえの事が、様々な理由からわからなくなってくる
のです。
あたりまえの事をあたりまえに考えて、そしてあたりまえに実行していけば、人生
というものはそうそう狂うものではありません。
しかしながらその「あたりまえに」がいつの間にか難しい世の中になってしまってい
るのです。

世の中ということでは、マクロに考えれば景気対策にしても、経営問題にしても、
もっとミクロに考えれば家族の問題、個人の心の充足や「しあわせ」にしても、あた
りまえに考えてあたりまえに実行できれば、今までにない様々な結果が導き出さ
れてきたはずなのです。
しかしながら、あたりまえのことがあたりまえに直視できない人たちが、専門的な
見地からバラバラな発言をするから、混迷や混乱がおきるのです。
しかも、彼らには「過去の成功体験」や「成功という肩書き」がくっついているために、
平民の私たちは、彼らの発言に根拠のない説得力を感じてしまうのです。

そういった意味では、私たちはもっと自分の頭で考えて、物事を判断するという
努力をしなければならないでしょう。
そうした努力を、私たちはほとんどしてこなかったのです。
これは決してオーバーな表現ではないと思います。
どんなに権威のある、また成功者の発言でも、先ず自分のフィルターを通して吟味
してみるという、精神的な努力を怠った結果が、今の世の中なのです。

信頼できる人の情報でも同じことです。
信頼できる人を、わざわざ疑ることはありませんが、その人のくれた情報について
は、一度疑ってみることが必要です。
疑ってみるとは、自分で調べてみるという意味です。
自分で調べて自分で結論を出すということは、自分がその結論に責任を持つという
ことを意味します。
今の社会では、この努力ができない人が大勢いるのです。
情報を伝えてくれたその気持ちは有難く受け取っておき、情報そのものに関しては、
自分のプロセスを踏んでいくことです。
私がこの森で皆さんに伝えてきたメッセージは、そうした努力のプロセスの結果、
生まれたものです。
少なくとも私はそう思って運営してきました。
ただしこの私のメッセージにしても、皆さんが「自分のプロセス」を踏んでいかれる
ことで、結果的に実を結ぶこともあるかと思います。

二年目に突入した「こころの森」ですが、そのコンセプトに肉付けを行うことはあって
も、そっくり変更するようなことは、考えていません。
育ってはいるが、変わらぬ森。
そんな森を、これからも管理できるように、頑張りたいと思っています。

                              2002.11.2  まさパパ


























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