怒りの感情ばかりが大きくなっている
                   現代社会
-ますます難しくなる人間関係-

「こころの森」の掲示板を見るまでもなく、
私たちの世代や現代の人間関係というものは、非常にギスギスした
付き合いづらいものになってきているといえます。
昔に比べて、今の人間関係は、いくつかの点で難しくなってきています。

・相手を理解せず、また自分の気持ちを抑えられずに、
 相手にすぐに自己主張してしまう。
・気持ちよりも相手の言葉に反応してしまい、踏み込んだ解釈ができない。
・「自分は相手に嫌われるのではないか」という不安が大きくなってきている。
・自分の気持ちもや相手の気持ちを充分に把握できないことからくる
 コミュニケーション不安。
・周りと同じでなければ、「仲間はずれにされるのでは」という怖れ。

人間関係というのは、私たちにとって本来は癒しであり、悦びであったはずです。
それが、一体どこでどうなってこのような「悩みのタネ」になってしまったのか。

私の周りでも、意志の疎通が上手くいかないためにトラブルになったり、
もう少しお互いがお互いを理解しあえたら、もっと良い関係になるのに・・・と、
つい思ってしまう関係が少なくありません。
お互いがそれぞれ自分の意見や思い、希望を通そうとしてしまって、
相手の気持ちをくみ取ろうとか、もう少し事態をしっかりと把握しようという
視野が欠けていて、
起こる必要のないトラブルが起きてしまっているように見えます。

相手の気持ちを考えたら、もう少し別の言い方があるのではないか。
いろいろな人間がいるのだと、もっとおおらかに構えていても良いのではないか。
自分が時にはバカをみることがあっても、いいのではないだろうか。
自分をわかってもらえなくても、相手を理解できればそれで良しとは思えないのだろうか。
いろんなことを、考えてしまいます。
では、何故このように人間関係が難しくなってきてしまったのかを考えてみましょう。

-キーワードは「怒り」と「寂しさ」-

現代に生きる私たちの心の中には、以前にもまして「怒り」と「寂しさ」という感情が
大きくなってきているのではないかと思っています。
今の男女の恋愛にしても、
「寂しさ」に突き動かされて恋に走る人たちが増えているように思います。
相手がどんな人かの前に、寂しさが先立ってしまい、
好きだからとか幸せだからではなく、
寂しいから人に会う、寂しさに耐えられないから恋をする。
私にはそんな風にみえるのです。
「なんであんな人とあなたは付き合っているの?」
という言葉は、そんな男女に投げかけられることになるのではないでしょうか。

また、
今の社会に生きる人たちには、喜怒哀楽でいう「喜びの感情」というものが、
著しく失われてきているようにも思います。
この、喜びの感情というものは、たくさん愛されてきた人間が自然と持つ感情です。
真に愛されて育つと、人はとても気持ちの良いものです。
それが喜び(悦び)の感情、言い換えれば「快」の感情です。
心の中で、快の感情が薄れれば、そこには必然的に「不快」の感情が生まれてきます。

人間の心は、常に快と不快が拮抗しています。
つまり、快の感情が不快の感情より大きければ、その人は幸せであり、
感謝の心が備わり、
人を愛することができ、人からも愛されて、豊かな人間関係を持つことができます。
そして、自分自身に対するフィーリングが良いので、自信もあり、
自己実現を果たしやすいといえます。
反対に、
快の感情よりも不快の感情が大きくなってしまうと、
自分自身や他人を信頼する力が弱まり、感謝の心も育たず、
人を愛するよりも自分を愛してくれることをひたすら望むようになります。
そうなると、その人の人間関係というものは、
非常に悩みやトラブルの多いものになってしまいます。
これは、とても悲しいことだと思います。
こうなると、
喜びの感情が失われ、「怒りの感情」ばかりが大きくなってきてしまいます。
そうです。
現代の私たちは、怒りの感情が昔よりも大きくなってきているのです。
怒りに突き動かされると、人間というのは冷静さや暖かい心を失います。
相手よりも先ず自分。
そういう傾向をもつようになってしまうのです。

-快と不快のボーダーライン-

人間はたっぷりと愛されたり、触れ合いの多い人間関係の中で過ごすことで、
癒され、喜びや感謝の気持ちを持ち、「快」の感情が育っていきます。
子供の頃にそうした経験を運悪く持てなかった人でも、
大人になってからそれを取り戻すことは可能です。
快の感情がしっかりと心の中に根付いていれば、
ちょっとした不快な出来事にも左右されません。
自分が愛された人は、その気持ちよさがどれほどのものかを充分に知っていますので、
同じように人をいたわり、人を愛し、人を理解し励ますことに、
更なる喜びを求めるのです。

また、
自分の話をじっくりと聞いてもらって育った人は、
自己主張をあまりしません。
自分のことを理解してもらえなくても、一向に気になりません。
そのかわり、相手のことを考えてのここぞという時は、
しっかりと自分の意見を述べることができます。
現実をしっかりと見据える能力も備わっているのです。

自分の心の不快を、親のせいにするのは二十歳までです。
二十歳を過ぎたら、自分で何とかしようと思わなければ、神様も味方してくれません。
人間は、失った自分を取り戻すことができる生き物です。
過去に縛られ、過去に生きる人間になってはいけません。
自分の未来は自分で掴むことができます。
なぜならば、
そのために私たちはこの世に生を受け、自分の人生を生きているからです。
自分が生きていることの意味がわからないという人は、
そのように考えてみてください。
また、
今、目の前にある困難や苦しみは、自分を取り戻すために、
そして、未来を創るために遭遇しているのだと考えてみてください。

快と不快のボーダーラインをどう踏み越えていくのか。
あきらめなければ、必ず答えはみつかります。


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