『ハリー・ポッターと賢者の石』に学ぶ
                         Word版レポート(転送可)
-ハリーの力のルーツを考える-

「ハリー・ポッターと賢者の石」は、もうご覧になられた方も多いかと思います。
私は最近DVDを購入して家族で何度も観ているのですが、観れば観るほど心の中に
安らぎと感動を覚えます。そして、人として生きていく上で学ぶべき点が非常に多いな
と感じています。
そこで今回は以前にも予告しておきましたが、私自身がこの物語からとても感銘を受け
た事柄を取り上げてみたいと思いますので、よろしくお付き合いください。

まずは何故、ハリー・ポッターが魔法使いの中でも飛びぬけた力と可能性をもっている
のかということについてです。
彼自身はまだ修行も積んではいないし、魔法学校に入学を許可されるまでは、自分が
魔法使いであるということすら自覚してはいませんでした。
それにもかかわらず、ハリーは悪の魔力を退ける力と無限の可能性を既に兼ね備えて
いました。もちろん、もうご覧になられている方なら、その答えはご存知でしょうね。
最後に魔法学校の校長であるダンブルドア先生が教えてくれました。
「それはな、ハリー。愛じゃよ、(お前の母親が残してくれた)愛じゃ」

母親が、まだ幼子のハリーに一心に注いだ親の愛、ハリーを命がけで守ろうとしたその
愛が、ハリーの心の中にいまだに宿っていて、それがハリーに絶大な力を残してくれた
と、ダンブルドアはハリーに伝えました。
ここは、人の心の真実を鋭く描いた一場面であり、作者であるJ.K.ローリングが最も
伝えたかったメッセージではなかったかと思うのです。

人の心というのは、とても不思議なところがあります。
幼き頃、つまり0〜3歳位までのことというのは、記憶としては残っていないと一般的に
は言われていますが、しかしそれは理性としての記憶の話しです。
その頃の記憶は、感情としてしっかりと記憶されているものなのです。
では感情として記憶されているとは、どういうことでしょうか。
それは、気持ちが良かったか気持ちが悪かったか、嬉しかったか悲しかったか、安心で
きていたか不安だったか、満たされていたか寂しかったか。
つまり「快だったか不快だったか」ということです。
エリクソンという心理臨床家は、これを「基本的信頼感と不信感」と表現しています。
この記憶がその人間の心理的土台となって、その後の人生に大きな影響力をもってく
るのだと言えるでしょう。
恵まれない境遇から魔法学校で自身の可能性を引き出していくハリーの人生の屋台骨
は、その母親の残した「愛」という記憶なのです。

-己の真実と向き合う勇気-

物語の中で、ハリーは何度か自分を見失いそうになったり、現実から目をそむけようと
します。しかし、そこでハリーに、己の真実と向き合い、現実から逃げてはいけないと諭
し、教える人物が現れます。それが魔法学校の校長であり、偉大な魔法使い、そして、
あのボルデ・モードが最も恐れた人物、アルバス・ダンブルドアです。
この物語の登場人物の中ではまさに「偉大なる賢者」として、ハリーを導く人物です。

先ず、みぞの鏡の場面です。
みぞの鏡には、その鏡を見た者の心の奥底にある望みが映し出されるのです。
そして、ハリーがその鏡を覗いた時に映し出されたのは、もうこの世にはいない亡くなっ
た両親の姿でした。私はこの場面は、ハリーの年齢やその生い立ちを考えると、あまり
にも酷な場面だなあと思ってしまいました。
その後、ハリーはその鏡の前に何度も訪れて今は亡き父と母に思いを馳せていきま
す。鏡の前に立つなという方が無理というものです。
しかし、それまでそのハリーの姿を、暖かいまなざしでじっと見守ってきたダンブルドア
が、ハリーの目の前に現れて、こう説きました。
「もし、世界一の幸せ者がこの鏡の前に立ったなら、そこには今、あるがままの自分が
映し出されるじゃろう」
「この鏡に魅せられて、自分を見失ったり半狂乱になった人間が沢山いたのじゃ」
「ハリー。この鏡はもう他の場所に移すとしよう。夢にふけって生きることを忘れてはな
らない」

私はおそらく、このみぞの鏡をのぞき、ありのままの自分が映し出される幸せ者など、
この世にはいないと思います。どんなに幸せそうに見える人でも、何もかも自分の思い
通りに生きれる人はいないと思うのです。鏡をのぞけば、おそらく誰であろうと現実の
自分に無いものが映し出されるはずです。
しかし、本当の幸せ者は、たとえそうでも現実に生きていける人です。現実の世界に
みぞの鏡を求めることのできる人だと思うのです。
ダンブルドアがハリーに伝えたかったことは、そういう事ではないかと思うんです。

そして映画には出てきませんでしたが、ボルデモードとの闘いを終え、病院の床でボ
ルデモードのことを「例のあの人はどうなりましたか」と聞いた時、ダンブルドアは再び
ハリーをこう諭しました。
「ハリー、ボルデモードと呼びなさい。ものには必ず適切な名前を付けなさい。名前を
恐れていると、そのもの自身に対する恐れも大きくなる」
こうしてハリーはダンブルドアという偉大な賢者から知恵と勇気を授かり、その他先生
たちや友達から愛と信頼を受けながら、自らの人生をたくましく生きていこうとするは
ずです。

-大切なのは、これからどうあろうとしているのかということ-

親として子供を愛し、育てるということは、実際とても大変な仕事です。
気力、体力はもちろんのこと、真剣に、そして深くその業を全うしようとするならば、こ
れほど大変なことはありません。
しかし、子育てができる、子供を愛せるということほど、素晴らしいこともまたありませ
ん。また子育てほど親自身の人間性、価値観、人生観、そして生きる姿勢が問われる
ものもありません。

親といっても人間です。欠点もあれば未熟な部分もあるわけです。
ですから「今の自分がどうか」と問われたら、私もはっきりいってまともに子供の顔を見
れる親ではありません。
しかし、大切なのは、「これからどうあろうとしているか」ということです。

今は欠点もあるし、未熟な自分。しかしそれでも高い志しをもって、親として精進しよう
としているその姿勢に、子供は自分に対する「愛」を感じるのだと思うのです。
「自分の親はたいして立派な人間ではないけれど、何か尊いものを目指したり大切に
しようとしているようだ」ということは、子供にはわかるものですし、必ず伝わるものだと
思うのです。
人が生きていくということを考える時、そうしたものを大切にしていくことで、迷いや不安
を断ち切ることができるのではないでしょうか。
ハリーやダンブルドアとても、欠点や未熟さを抱えながら、そんな風に生きているかも
知れませんよ。

                                  2002.6.22


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